SDG’sについて不信に思っている私に 「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」について皆がわかるようにと原稿依頼があり、書かせていただきました。
SDGsの原点は「私たち人間が地球環境の中で、多様な生命と共生し、永く、幸せに暮らす」ためにどのように生きるべきかを考え、行動することです。 電気エネルギーを例に、原子力発電は100万キロワットの電気を供給するため、300万キロワットの熱を発生させ、200万キロワットの熱を海や大気や送電中に捨てます。火力も同様で燃料の持つ熱エネルギーの約2/3を排出し環境に悪影響を与えていると考えられます。
燃料となるウランや化石燃料は極めて密度の高いエネルギーで地球上の偏った地域に埋蔵され、資源をめぐる戦争、難民問題、極端な貧富の差、環境汚染の原因となっています。さらに利権にからむ多国籍企業が巨大な障壁となってSDGsのゴール前に立ちはだかっています。
311以降日本でも太陽光、風力、木質バイオマスなどの「自然エネルギー発電」が増えていますが、大企業の投資に見合う高額な「再生可能エネルギー固定価格買取制度」によるものがほとんどです。
一方大規模風力、ソーラーなど、野生動物や森林など生態系への影響が大きいものが多く、「北海道大規模停電」では地元に電気が供給されないことが露呈されました。
「エネルギーをみなに、クリーンに」のために、社会全体がまず取り組むべきは、全原発を止め、代わりの電気エネルギーを探すのではなく、電力消費を減らすこと。
そしてエネルギーの中央依存から、必要なエネルギーは自分たちで供給する「小規模で多様なエネルギー」で成り立つ社会に変えていくことです。
エネルギーを使うこと自体が自然からの搾取ですから、天然資源の自然増の範囲の中でエネルギーを賄う生き方が求められます。例えば未利用木材を燃やし暖房、給湯などで地域の人々に熱供給することができます。
北海道では、冬季の氷や除雪の雪を通年利用した野菜の貯蔵庫や発酵食品の熟成庫があります。また飛躍的に高い断熱性を持つ建築も徐々にできてきます。そこで大切なのは地域のエネルギーと技術を活かす知恵です。
最後に改めて肝に銘じるべきことを確認します。SDGsはあくまでも人間社会が作った手段です。常に「私たち人間が地球環境の中で、多くの生命と共生し、永く、幸せに暮らす」という原点に戻り、誤りがあれば修正しなくてはなりません。手段が目的になってはならず、自分で良く考えて行動しなくてはなりません。